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リレーコラム我ら淀人(よどんちゅ)

コラムニスト プロフィール
氏名:赤見 千尋(あかみ ちひろ)
職業:競馬レポーター


1998年、高崎競馬場で騎手デビュー。2005年、北関東の全競馬場が廃止となり騎手を引退。グリーンチャンネル『トレセンTIME』美浦担当。秋田書店プレイコミックにて、原作を手掛ける漫画『優駿の門アスミ』を連載中。この春、早稲田大学人間科学部に入学。現在、女子大生を満喫中。

第4回

「荒尾競馬廃止の現実」

12月23日、熊本県にある荒尾競馬場が、83年の歴史に幕を下ろしました。
当日は快晴。少し風が冷たかったけれど、穏やかな太陽の光の下、絶好の競馬日和となりました。
この日の入場者数は8,935人。近年稀にみる多さです。名物のラーメン店の前には常に50m近い行列が出来ていたし、特別観覧席のチケットは午前9時過ぎに完売。最終開催を見届けようと、日本全国からたくさんのファンが詰めかけました。
当日は9レースが組まれ、第8レースは重賞『肥後の国グランプリ』。
前馬未到の4連覇が掛かるタニノウィンザーと、この秋JRAから移籍して来た新勢力テイエムゲンキボの対決に注目が集まったこのレース。結果は圧倒的な強さを見せつけて、テイエムゲンキボが初の栄冠に輝きました。
この後はJRAに再移籍が決定。荒尾の最後のチャンピオンホースとして、これからも活躍してくれることを期待しています。
テイエムゲンキボを管理する平山良一調教師にとっては、これが最後の勝利。1980年12月の初出走から、丸31年。
生涯勝利数2,082勝という輝かしい成績を残しました。
荒尾の調騎会長を務める平山先生は、関係者をまとめ、主催者とのパイプ役でもあります。自分の厩舎のことだけでなく、荒尾競馬のために長年尽力して来ました。
しかし、荒尾廃止後、他の競馬場に移籍することは叶わなかったのです。一番の理由は、63歳という年齢。他競馬場への移籍は人数が限られていて、何年かで引退する可能性のある高齢の調教師よりも、若手にチャンスを…ということでした。
「正直、引退するのは悔しいです。本当は辞めたくないけど…。でも、最後の重賞を勝てて良かったです。いい締め括りが出来ました」。そう言って、柔らかい笑顔を見せてくれました。
移籍に関しては、各競馬場それぞれの規定があり、NARが関知出来ない領域です。
たくさんの所属馬がいて、しかも重賞を勝てる器の馬たちを育てている平山調教師の引退は、馬たちがどんどん減っている地方競馬にとって、大きな痛手に他なりません。
平山先生だけでなく、他の関係者も同じ。続けたい意思があるのに、移籍することが出来ないという現状は、地方競馬の状況をどんどん悪くする一方です。
ここまで経営がひっ迫しているのに、それでもひとつになれない地方競馬。
中央競馬との交流ももちろん大事ですが、まずは自分たちがひとつにまとまらないことには、現状を打破することは絶対に出来ません。


荒尾競馬の最終レース。勝ったのは牧野孝光騎手でした。
「30年間乗って来て、いい締め括りが出来ました。もう悔いはありません」と、弾けるような笑顔。
2,648勝を挙げた名手は、この後、北海道の牧場に就職が決まっています。
騎手引退を決意するまでにはたくさんの葛藤がありましたが、この日見せてくれた表情は、完全に吹っ切れた印象でした。
「これからは、JRAのGIに出られるような馬を育てたいです」。
新たな目標を掲げて、また一人、優秀な騎手が地方競馬から姿を消しました。
競馬場の廃止というのは、その競馬場だけの問題ではないと、私は思います。
サラブレッドや関係者の受け皿が小さくなれば、必然的に日本の競馬というピラミッドは、どんどん低くなることでしょう。
これ以上、ピラミッドを崩さないために。
競馬を愛する者のひとりとして、荒尾競馬廃止の現実を胸に刻み込み、前に進んで行きます。

1か月間お付き合いいただき、ありがとうございました。
赤見 千尋

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