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- 馬時京風(ばじきょうふう)
- 馬時京風 川田さん第1回
氏名:川田 重幸(かわた しげゆき) 職業:競馬評論家 競馬エイトの名物トラックマンとして長年同社で活躍。今年同社を退職後も関西TV「サタうま」はじめ、様々なメディアやイベントで積極的に活躍中! |
「秋の京都競馬場」
- 今週から4回に渡って川田重幸が担当させていただきます。どうぞ皆様よろしくお願いいたします。
- 今を去る事??年前、愛媛県の松山から神戸大学の機械科に入学し、当初は将来エンジニアになるつもりでしたが、開けた神戸界隈の空気を吸ううち?ついつい遊び心が顔を出し、6年の中退まで、うつつを抜かす有様に。
学生時代真面目だったのは坂田三吉さんの弟子の藤内金吾さん(内藤国男さんの師匠)の将棋道場に通っていたときと、生協のアルバイトをやっていた時だけだったような気がして(笑)。 - そんな私、今ではサタうま(関西テレビ土曜深夜1時5分頃から)でワイワイやってます。
えぇー、競馬との馴れ初めですか? - 実はその大学時代に所属していた将棋部に新入部員が入ってきたことがキッカケなんですよ。
3年のとき将棋部のキャプテンだった私は、20数人が真剣に将棋を指している学生会館の1室で、横に置いている新聞をチョロチョロ見ながら指している1年生部員が目に飛び込んできました。
秋たけなわ、入部してからすでに半年。将棋部の雰囲気は分かってきてるはず。
それが、さらにエスカレートして将棋から目をそらし、その新聞に視線がくぎ付けになっているではないですか。どんな新聞かは知らないが、みんなが将棋に夢中になっているときに1人だけ他の事にうつつを抜かすとは何事か!いきなり、カアーときましたね。うしろから足で相手の尻を蹴っていました。
ビックリした彼に、あとで残っておくようにと叱り飛ばした。(その時彼の持っていたその見慣れないカタカナだらけの新聞、後にその新聞を大切に持ち運びすることになろうとは。)
彼は2浪した1年生部員でした。彼曰く「大きなレースがあるんです。考えていると、ついつい夢中になって」と。なんのこっちゃ、さっぱり分からない。百聞は一見にしかず。それでは一度、俺を連れて行け…。 - 日曜日、さっそく待ち合わせて競馬場へ。そうそれが秋の京都競馬場でした…。
とてつもなく広い場所に大勢の人が集まっていた。向こうの方で馬が走り出した。ガヤガヤと声がし出した。目の前にたくさんの馬がドドッとやってきた。なんや、これは!凄い迫力。
突然、大きな叫び声が。ヤッター、アナやと興奮して飛び跳ねている。別の世界でした。
何やら面白そうな気がし、その1年生に手ほどきを受け数カ月後には1人前の気分になっていました。
成績断然の馬が目に入り、これはかたい。相手も2点。だが、肝心の軸馬はおらず、いわゆるタテ目を食らった。彼いわく、「その馬は道悪下手や」と。そんなのありか?当時は雨が降ればホント、田んぼのような泥んこ馬場だった。はよー、言わんかいな。「だって、聞かれなかったから…。」
そんな事を繰り返すうちに、いつの間にか病み付きになっていました。競馬開催前日は、夜遅くまで馬券検討をし、毎週ワクワクしていました。秋から冬へ、雪が降っても神戸の西灘から京都競馬場へマフラーを巻きつけて通っていました。そしてどんどん競馬へのめりこんでいきました。
ですが、その当時は、その後数年経ってこの世界に入るなんて夢にも思っていませんでした。 - あれから幾十年この世界で、いろんな事やいろんな馬達に出会って来ましたが、この季節になるともうひとつ懐かしく思い出す京都競馬場の思い出があります。それは地方の雄、ハイセイコーが中央入りし競馬がグンと盛り上がった、昭和48年の事です。ちなみに、この当時のハイセイコーの人気はあのオグリキャップやディープインパクトに勝るともおとらない凄いものでした。
(後に、さらばハイセイコーの歌まで出たし、巷で大ヒットしました。) - その年の秋、そのハイセイコーが初めて東京から関西にやってきました。菊花賞のトライアル京都新聞杯に出走する為です。昔は神戸新聞杯→京都新聞杯→菊花賞の路線が組まれ、菊花賞は天皇賞・春と並んでめちゃ、人気がありました。
初めて見るハイセイコーは見るからにたくましく、とにかく凄い馬でした。
調教ではEコース(当時はCコースと並んで追い切りが多かった)で、大外を回ってマイルを100秒切って上がってきたから、まわりの調教師以下、みんなビックリ。オープン馬の数段、早い時計でした。 - そんなハイセイコーですが実は本番のレース(京都新聞杯)では負けてしまいました。1着馬の名はトーヨーチカラ。
人気では9番人気とハイセイコーにずいぶんと差をつけられた同馬ですが。レースでは直線半ばで先頭に立ち、ハイセイコーの猛追をしのいで見せたんです。
実は私、その時同馬の単勝、複勝、枠連を1000円づつ持っていたんです。直線は声のあらん限り叫び通し。3000円が11万になって大喜び&大はしゃぎです。但し、廻りの人たちからは「うるさすぎるわ!」と大ブーイング。ヒンシュクをかってしまいました…。それ以降は大声を出すにも、ちょっと遠慮するようになりました(笑)。 - 将棋部で1年生と出遭ってから45年。そして、あの京都新聞杯から38年がたちましたが、この季節がやって来ると、何故かあの京都新聞杯、そして競馬との出会いを懐かしく思い出します。
- と言う事で今週から4週間、私川田のお話にお付き合いの程とよろしくお願いいたします。