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- 馬時京風(ばじきょうふう)
- 馬時京風 竹之上さん第3回
氏名:竹之上 次男(たけのうえ つぐお) 職業:実況アナウンサー 兵庫県競馬(園田競馬場・姫路競馬場)の実況アナウンサーとして活躍中。本業の競馬実況に加えJRAの競馬場でのイベントや催しにも積極的に出演し、その軽妙な話術で、地方・中央の垣根を越え、広く競馬や競馬全般に関する啓蒙活動を積極的に行なっている。 |
「神からの拝借」
- 競馬実況歴56年目、園田競馬場でいまも現役で喋り続ける74歳の吉田勝彦アナウンサー。 声優を目指して喋りの世界に飛び込み、それまでの足がかりと思ってアルバイトで始めた競馬実況に次第に魅了されていきます。吉田さんが競馬の実況を始めたのは18歳のころ。当時はまだ大阪にも地方競馬があり、長居競馬場(大阪市)と春木競馬場(岸和田市)が交互に開催されていました。翌年、半ばスカウトされる形で園田競馬場に仕事の場を移す吉田さんですが、実況生活のスタートは大阪だったわけです。
- 吉田さん曰く、当時大阪で実況していた先輩アナウンサーは、決してお手本になるような人ではなかったようです。例えば、障害レースは昔は「障碍(しょうがい)」と表記されていて、その先輩アナウンサーは「しょうとくレース」と読んでいたそうです。あちゃ~。そんな状況ですから、お手本は他のスポーツ実況で、特にアナウンススクールの講師の方に勧められた水泳の実況を練習台にしてその喋りに磨きをかけていきます。いまでもその名残りが、「ゴールまで20m、10mゴールイン!」というところに見てとれます。
- 長居競馬場で初日の業務についた吉田さん、最初は本馬場入場をだけを喋っていましたが、いよいよ競馬実況アナウンサーとしてのデビューの日が訪れます。
- 先輩アナウンサーから「そろそろ喋ってみるか?どのレースを喋りたい?」と聞かれ、すかさず「一番大きいレースを喋りたいです」と生意気(本人談)にもそう言ったそうです。一番大きいレースとは、古馬オープン『貝塚市長賞』というレースで、重賞レースを賑わすような馬が集うレースでした。その開催のメインレースですから、普通は喋らせてはくれないだろうと思っていたら、「しゃーないな」と先輩アナウンサーから許しを得て、実況デビューを果たすこととなります。
- 『貝塚市長賞(サラ系オープン)』
※出走馬
ナニワホマレカップ
ミョウオンリキ
ギンザパイ
イチカオル
ファーストカショウ
トールボーイ
オールボーイ
(当時の表記とは異なる場合があります) - 「ナニワホマレカップが逃げ切って勝ったレースやけど、なんて喋ったかは全然覚えてないなぁ。でも、この7頭の馬名だけはいまでも忘れられへんわ」。56年も前のこと、いまとなっては、どこをどう調べても記録に残っていないのではないでしょうか。吉田さんの記憶に頼るしかないのですが、間違いなくこの7頭でした。のちに“競馬実況界の神”、“地方競馬の至宝”とまで言われるようになる吉田さんの原点がここにあったのです。
- そんな吉田さんとぼくが初めてお会いしたのは13年前の5月。実況アナウンサーを募集されていた面接のときでした。そこで初めて間近で吉田さんの実況を聴き、衝撃を受けたのをいまでも覚えています。
- その日の最終レース、大本命に推されていたガルーダという馬が、直線で抜け出してくるシーン。強いと思われている馬が強く勝つ状況で、当時の僕ならより一層声を張り上げて強調したかも知れません。ところが吉田さんは、そこでトーンをあえて抑えて「ガールダ」ですと諭すように言うのです。それはあたかもこの馬を買っていないファンに引導を渡すかのような、或いは静かに王手を宣言するかのようでした。観ているファンにとっても、「あぁ、この馬が来たらしゃーないな」と思わせる言い回しで、まさにファンの気持ちを代弁しているようでした。
- その後、運良く採用が決まり、現在に至るわけですが、吉田さんには遠く及ばない13年間。それでも、身近に56年ものキャリアを持つ大先輩がいるわけですから、巧く吸収すればもっと厚みを持たせることができるはずです。
- しばしば“吉田節”と呼ばれる吉田さんの語り口調。それは吉田さんが喋るからこそ吉田節で、ぼくが喋ればまた違う印象を与えるものです。なので、ぼくは吉田さんの良いフレーズや言い回しをチョイチョイ拝借したりもするんです。そしてそのうちに、その喋りが「いいねぇ」と言われることがあれば、吸収成功ということになるんですね。
- これからもどんどん吸収していきます。それぐらいまだまだ元気な吉田さんです。