第143回天皇賞を「ヒルノダムール号」で勝たせていただきました。この場をお借りして競馬関係者に心より感謝申し上げます。また多くの競馬ファンに感動していただいたことも大変光栄に思います。
そして私の様に、少頭数の所持馬主には縁のない[GⅠ]レースに出走にできるだけでも非常に幸運です。
思い起こせば、昭和39年、私が16歳、桑名市内多度大社の上げ馬神事の騎手に選ばれ騎乗いたし、馬が大変好きになり、いつしか馬主になりたいと夢をもっておりました。
37歳の時サラリーマンから独立し現業を開業し、20年前に念願の馬主になれ、その初年度に所有した2頭のうち「ビックフォルテ号」で平成5年、京都大障害(春)を優勝し、また、もう1頭の所有馬「ビックライサン号」がデビューを藤田伸二騎手で新馬戦を勝たせていただき、馬主として大変ラッキーでした
しかし、その後はなかなかうまくいきませんでした。何度か馬主をあきらめようかと思っておりましたが、数年前に昆 貢調教師と出会い、ヒルノダムールと巡り合え、「新馬戦は藤田伸二騎手で」と連絡を受け、何か御縁を感じました。初戦は残念ながら2着でしたが、その後すぐ未勝利を勝ち、明け三歳の京都競馬場、1月23日若駒ステークスで優勝、この時、先々何か予感を感じました。
皐月賞で2着に健闘し、東京優駿は期待しておりましたが残念な結果でした。秋の菊花賞も期待しておりましたが残念な結果となりましたが、しかし3レースすべて出走できたことに満足でした。
[GⅠ]を勝利なんて夢の夢です。騎手、厩舎関係者の方には無事レースに出走できた事だけで感謝の気持ちで一杯でした。
古馬になり重賞を2・3着でなかなか勝たせていただけない競馬が続きました。そして4月3日、阪神競馬場で産経大阪杯をレコードで勝利し、同世代の強い4歳の仲間入りできました。
そして5月1日、天皇賞、産経大阪杯でのレコード勝ちの反動や、3200Mの距離に期待より不安の方が多くありました。パドックで馬の状態は大変良く見えました。内枠を生かし「イン」で我慢して4コーナーからスパートするレースができればな~と。パドックを後にしました。
ゴンドラ席よりの観覧で、ゲートオープン、よいスタートが切れインコースで我慢のレース運びそして、先頭が入れ替わりの激しいレース流れ、我慢してくれと願いつつ、不安がよぎり声を張り上げつづけました。あと200Mで前がうまく空き、最後のスパート、外からダービー馬の強襲で「ヒヤヒヤ」手足が震える思い。だれかが勝ったという声に信じられません。藤田伸二騎手が左手を大きく上げるのを見て、体から一瞬に力が抜けイスに座り込み周辺の皆さんから祝福の声も聞こえない、わずか10秒位の間立ち上がることも出来ない状態。この10秒はすごく長く感じました。
天皇賞に勝たせていただきました。騎手・厩舎関係者・育成場・すべての関係者のおかげです。
自分自身の「徳を」すべて使い果たしてしまった感じ。また次のレースで期待します。
関係者各位の感謝しつつ、また「徳を」積ないと思った一日でした。