閉じる

リレーコラム我ら淀人(よどんちゅ)

コラムニスト プロフィール
氏名:井上 オークス(いのうえ おーくす)
職業:競馬ライター


さすらいの旅打ち競馬ライター。住所は京都だが、年間300日は空き家状態。年中無休で国内外を転戦している。今年4月、KKベストセラーズより旅打ちエッセイ集『いま、賭けにゆきます』を出版。スポニチにGI予想コラム『えい!えい!!オークス』を連載。

第4回

「祇園育ちの競馬好き」

ハタチの頃、祇園のバーでアルバイトをしようと思った。ところが面接を受けに行ってみると、「バーテンダーになりたい男女」が鈴なりになっていた。うわ~、めちゃくちゃ倍率が高そうだぞ。おしゃれ眼鏡をかけた、いかにも夜な感じの店長が、鋭い眼光で品定めをしている。
「井上さんは、何のためにアルバイトをするんですか?」
ほとんど採用を諦めていた私は、ヤケクソに答えた。
「アルバイト代で馬券を買います。馬券を買うために働きたいです」
ウケれば御の字だが、失笑も覚悟していた。ところが。店長の瞳が、ランランと輝いているではないか。
「馬券!? 俺も競馬が好きなんや~!」
もらった、と思った。翌日、採用の電話がかかってきた。店長は一口馬主になるほどの競馬好きだったのだ。ラッキー。
競馬の話をしてお金がもらえるなんて、夢のようなバイトだった。店長や競馬好きなお客さんと、ずっと競馬の話をしていた。ちょうど「ヒサコーボンバー」という馬が障害戦で大活躍していた頃で、私の名前が「久子」なものだから、「ボンバー」と呼ばれていた。
22歳のとき、エッセイコンテストに応募したのがきっかけで出版社を紹介してもらい、競馬ライターとしてデビューすることになった。本名では地味すぎる気がして、ペンネームを使うことにした。メジロドーベルが勝った1997年のオークスで初めて万馬券を獲ったことにちなんで、「井上オークス」としてやっていくことにした。いま思えばオークスを名乗るなんて恐れ多いことだが……若さゆえの怖いもの知らずってわけ(遠い目)。
バーを急に辞めることになって迷惑をかけたが、店長もバーテン仲間も喜んでくれた。
「ボンバーは『競馬のことを書く仕事をしたい』ってゆうてたもんなあ。ホンマによかったね!」
あまりにも早く夢が叶って、私は有頂天になった。
で、1年もしないうちに仕事にあぶれた。
23歳の終わりに、園田競馬場で全財産が1000円になった。阪急園田駅の売店でアルバイト情報誌「an」を購入し、その日のうちに祇園のラウンジで面接を受けた。そして翌日から、ホステスとして働き始めた。
完膚なきまでに売れないホステスだったが、競馬好きのお客さんが来たときに限っては重宝された。
ママやホステス仲間に、「競馬の話をしてるときは、水を得た魚のようやね」と言われた。
なんで競馬を好きになったんですか。
好きな馬はいますか。好きな騎手はいますか。
思い出のレースは? いちばん儲かったのは?
スプリンターズステークスはどの馬から?
私はあの馬を狙ってます――。
馬券はひとりで買える。ひとりで競馬場に行って「そのまま~」とか「差せ~」とか叫んでも、奇異の目で見られることはない。だけど相手がいないことには、魅惑の穴馬について力説できない。会心の当たり馬券も自慢できないし、オケラ同士で傷を舐め合うこともできない。
競馬という不可思議な賭け事の大きな楽しみは、誰かと共有することにあると思う。少なくとも私は、誰かと一緒にわくわくしながら予想をしたり、泣いたり笑ったりしながらレースを振り返ったりしているうちに、競馬にどんどんのめりこんだ。そして現在に至る。
いまはどうにかこうにか物書きとして食べているが、いつまた仕事にあぶれるかわからない。あぶれるのは怖いけど、心のどこかに「もう一度、祇園で働くってのもアリかな」という気持ちがある。ホステスは決して楽な仕事じゃないけれど、酒を飲みながら競馬の話をする時間は、やっぱり至福のひとときだ。バリバリの三十路を雇ってくれる店、あるかな?
そんなこんなで4週間、私の競馬におつきあいくださり、ありがとうございました。10月のコラムは、競馬番組「サタうま!」等でご活躍されている川田重幸さんが担当されます!
井上オークス

ページの上部へ