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リレーコラム我ら淀人(よどんちゅ)

コラムニスト プロフィール
氏名:井上 オークス(いのうえ おーくす)
職業:競馬ライター


さすらいの旅打ち競馬ライター。住所は京都だが、年間300日は空き家状態。年中無休で国内外を転戦している。今年4月、KKベストセラーズより旅打ちエッセイ集『いま、賭けにゆきます』を出版。スポニチにGI予想コラム『えい!えい!!オークス』を連載。

第3回

「心をひとつに、岩手競馬」

嘆き悲しんだところで、荒尾競馬の廃止が覆るわけでもない。
とにかく旅に出ようと思った。うんと遠くへ行こうと思った。
松山駅から特急「しおかぜ」に乗り込む。車窓に流れる田舎の夕暮れを眺めていると、こわばった心がほろほろとほぐれてゆく。
坂出駅で、寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗り換える。一番安い「のびのび座席」は満席だったので、ワンランク上の「ソロ」を確保した。ソロシートはカプセルホテルのようなちんまりした個室だが、片方の側面がガラス張りになっていて、なんともいえない開放感がある。カーテンを開けっ放しにして、月を眺める。仰向けに寝そべったまま、瀬戸大橋を渡る。非日常に刺激されて、心身が活気づいてゆく。私のカンフル剤は旅なんだなと、あらためて思う。東京駅で東北新幹線「はやて」に乗り換えて、盛岡駅にたどり着いたのがお昼前。16時間の旅。
盛岡駅前から無料バスに揺られて街を抜け、ひたすら山道を登る。突然パカッと視界が開けて、豪奢な建物がドーンと現れる。オーロパークこと、盛岡競馬場である。
大入りのパドックに、「岩手の怪物」が現れた。43戦39勝という偉大な成績を残した伝説の名馬・トウケイニセイだ。岩手県滝沢村の「馬っこパークいわて」で余生を送るトウケイニセイだが、宮古市在住のオーナーが被災し、繋養が困難になった。そこで、主戦を務めた菅原勲騎手などが発起人となり、「トウケイニセイ基金」を設立し た。
今回のお披露目”は支援を呼びかけると共に、寄せられた支援に対する感謝を込めて行われたそうだ。
トウケイニセイは24歳とは思えぬほどの気合いを漲らせ、元気いっぱいにパドックを歩いた。
「やっぱり、オーラが違うなあ」
「現役でもやれるんじゃない?」
力強い足取りと雄々しいまなざしが、なんとも頼もしかった。
名馬の余韻に浸りながら、みちのくレースを楽しんでいると――。
ゆらりと体が揺れた。地震だ。自然と鼓動が早くなって、4月の焦燥を思い出す。
私は本当に焦っていた。震災の影響で、岩手競馬は存続が危ぶまれていた。だけど私の中で、「復興」と「競馬」は完全にイコールだった。岩手競馬が廃止されてしまうようなことがあれば、自分が東北復興の一助となる道が閉ざされてしまうような気がして、恐ろしくてたまらなかった。
今こうして、盛岡競馬場で「差せ~」とか「そのまま~」とか「いさお~」とか叫んだり、名物のジャンボ焼き鳥をむさぼったり、大船渡復光ラーメンに舌鼓を打ったりしていることを、心からありがたく思う。
10月10日(月)、マイルチャンピオンシップ南部杯が、東京競馬場で行われる。岩手競馬最高峰のダートグレードレースが、今年はJRA主催のレースとして開催され、売り上げの一部は岩手競馬の支援に充てられる。
また、同日の盛岡競馬場では「東北ジョッキーズカップ」や重賞の「絆カップ」が開催される。さらに、全国各地の地方競馬場が「岩手競馬支援の日」として盛岡のレースを発売し、様々な支援イベントを行う。
2011年10月10日は、日本の競馬がひとつになるための第一歩を踏み出す日。そうなることを祈っている。
日本のあちこちに、守りたいものがある。それは幸せなことな のかもしれない。

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