24歳になった頃、干支がようやくふた回りし
社会人になって数年の私は
自分のお金で欲しい物を少しずつ手に入れることができ
大人になる楽しさを味わっていました。
ちょうどその頃、
「まだ30歳までは時間があるし、若い今のうちにチャレンジしたい!」
と決意し
大好きな競馬に携われる仕事を目指して歩み始めました。
今月20日をもって騎手を引退する三津谷隼人騎手も現在24歳。
30~40代まで現役を続けるジョッキーが多く
アスリートの中でも寿命が長いといわれる中で
デビュー7年目での引退はあまりに早く感じます。
だからこそ、その決断の大きさがより伝わってくるようでもありました。
「ジョッキーになるのなら
どうやって馬が生まれて、どういう過程で競走馬になっていくかを
イチから見たいという思いで中学生の3年間、母の実家の北海道の生産牧場に行きました」
と、中学時代は毎朝牧場の手伝いをしてから登校する日々。
念願のジョッキーデビューを果たしたものの
6月にはゲート裏で落馬。
ヘルメットは変形していたそうで、肺気胸や骨折などでしばらく戦線から離れ
初勝利を挙げたのはデビューから半年が経った9月でした。
2019年からは障害にも挑戦をしはじめました。
障害レースに乗るにあたり、もちろん障害練習(調教)にも乗るわけで
「障害は自分でイチから馬を作るので
普段の調教から一つ一つのことをいつも以上に考えるようになりました。
改めて調教の大切さを感じますし、もっと馬に乗る考え方をしっかりしようと思いました」
と当時、生き生きと話していたことを思い出します。
▲初めて障害試験を受けた相棒・ダンツカホウと三津谷隼人騎手
時に穏やかな口調で
時に「今週の騎乗馬、すごく楽しみなんですよ!」とウキウキと話す姿が印象的でした。
昨日、お手馬のマーニと挑んだ京都ハイジャンプは
現役ラスト騎乗で重賞初制覇を果たすという
あまりに感動的なシーンでした。
三津谷隼人騎手、現役生活お疲れ様でした。