はい!現場の大恵です


エキストラ騎乗解禁

今月からJRA・地方それぞれでジョッキーのエキストラ騎乗が解禁されました。

コロナ以降、長く門戸が閉ざされていて、昨夏のワールドオールスタージョッキーズでは外国人騎手はエキストラ騎乗OKで、地方競馬代表の岡部誠騎手はNGというダブルスタンダード状態だったので、ついに!という思いです。

この恩恵に早速あずかったのは、JRAで3月にデビューしたばかりの田口貫太騎手でしょう。

デビュー戦で追い込んで2着だったルーキーはデビュー週に初勝利こそ挙げられませんでしたが
翌週に自厩舎・大橋勇樹厩舎の馬で笠松競馬場のJRA交流レースに遠征。
そこで見事、2日連続勝利を挙げたのはさすがでしたし、JRA交流レースへの騎乗があったことで、同地で厩舎を開業する父・田口輝彦調教師の管理馬にも乗ることが叶ったのでした。

こちらは残念ながら勝つことはできませんでしたが、お父さんにとっては嬉しかったでしょうし、田口騎手にとっても思い出深い1戦になったのではないのかな、と思います。

また、3月25日にはNARグランプリ2歳最優秀牡馬に輝いたヒーローコール(浦和)と森泰斗騎手(船橋)が伏竜ステークスに遠征。
不良馬場で逃げ馬を捕えることはできませんでしたが、3着と存在感を示したことに加え、森騎手はエキストラ騎乗の中山5レースで4年3カ月ぶりのJRA勝利も挙げました。

さらに同日、阪神競馬場では吉村智洋騎手(兵庫)が遠征騎乗。
こちらはエキストラ騎乗でクビ差2着など2着が2回あったものの、JRA初勝利はおあずけとなってしまいました。

それでも、エキストラ騎乗が解禁されたこともあって、今後も地方馬と地方騎手のJRA遠征は増えるでしょう。
レースにスパイスが加わりそうだなあ、と楽しみです。


桜と花粉症

今年は花粉症が大変です。

例年の2倍以上とも言われるスギ花粉。
2月末に美浦トレセンへ取材に行った時は大丈夫だったのですが、午後に都内へ戻ってきてからくしゃみ・鼻水が止まらなくなり、翌朝に栗東トレセンへ行く頃には大洪水。
往復の新幹線の車内では鼻をかんだ記憶以外、ほとんどないほどでした。

花粉に反応して顔に湿疹も出てきて、まだ戦いの最中。
春のうららかな陽気を一度でいいから存分に楽しんでみたいな~と思いながら今週木曜日の栗東トレセン取材の帰り、目線を上げると桜が咲いていました。

通用門の一つ倉見門からシンザン像へ続く道沿いは毎年、桜が綺麗に咲き誇ります。
今はどうか分かりませんが、コロナ前は見ごろになると提灯が灯されて、夜桜も楽しめるようになっていました。

それにしても、3月末を待たずして桜が咲き始めるとは。
来週にはトレセンの桜も満開を迎えているかもしれません。

となると、今年は大阪杯の頃には阪神競馬場の桜は早くも葉桜かもしれませんね。


引退式

少し時間が経ってしまいましたが、今月4日に阪神競馬場で行われた福永祐一騎手の引退式にジーンとしました。

当日はチューリップ賞が行われるとはいえ、土曜日。
従来ならさほど入場者は多くありませんが、この日は開門直後の9時過ぎから入場門は幾重にも折り重なる行列でした。
それは、先着2万名に福永祐一騎手のメモリアルブックが配布されたことも多いに関係しているでしょう。

1レースのパドックからGIデーのような人の多さで
この日、騎手デビューを迎える田口貫太騎手の父・田口輝彦調教師(地方・笠松)は
「こんなに大勢のお客さんの前でデビューできるなんて、いいね!」
と喜んでいました。

チューリップ賞では現役時代に騎乗し、母や近親にも多く騎乗したミツバに乗っての誘導。
そして最終レース後には引退式が行われました。

北橋修二 元調教師が渡した花束は、エイシンプレストンなどゆかりの深い「エイシン」さんの勝負服を模した赤と黒の縦縞、
武豊騎手は金子真人オーナーの勝負服を彷彿とさせる黄色と黒色のデザインでした。

サプライズで登場した父・福永洋一 元騎手は阪神競馬場での落馬事故で
「天才」と称された騎手人生に幕を下ろさざるをえなかった方。
高知競馬場で福永洋一記念が行われる時にはたびたび高知へ来場していましたが
まさかJRAの競馬場で、それも他ならぬ阪神競馬場でお姿を拝見できるとは。
引退式を行えぬままターフから去った洋一さんにとっても、一つの区切りとなるセレモニーだったのかもしれません。

福永祐一騎手が退場時に流れたのはMr.Children「終わりなき旅」。
10年以上前、ある雑誌で「僕のテーマソング」としてこの曲を挙げていました。

♪高ければ高い壁の方が
登った時、気持ちいいもんだ
まだ限界だなんて認めちゃいないぜ♪

この部分の歌詞を聴くたび
福永祐一騎手の騎手人生は常に自分を奮い立たせながら歩んできた道だったのかな
と思いを巡らせていました。

騎手として最高の状態での引退。
27年間、お疲れ様でした。