はい!現場の大恵です


フラッシュバック1999

重賞初制覇を遂げた相棒・ナリタトップロードと共に
1番人気で日本ダービーを迎えた渡辺薫彦騎手(当時)。

大観衆が見守る直線でデビュー6年目の渡辺騎手が先頭に躍り出て
初のGI制覇がダービーになるかと思った瞬間、
図ったように後ろから差したのは前年にスペシャルウィークで待望のダービージョッキーとなった武豊騎手とアドマイヤベガでした。

これが一度ダービーを制したことのある名手の技なのか
――中学生ながら、そんなことを感じさせられた1999年のシーンが今日の日本ダービーを見て蘇ってきました。

ダービーを勝つことで
無意識に生じる焦りがなくなるのでしょうか。

長い長い府中の直線を冷静に運んだ福永祐一騎手の強さを感じた一日でした。


“ロジ”カラーの勝負服と横山武史騎手

ダービーウィークがやってきました。

大本命と目される皐月賞馬エフフォーリアに騎乗する横山武史騎手が
幼い頃から競馬が大好きだったというエピソードをあちらこちらで目にします。

皐月賞では父・典弘騎手との父子制覇も話題になり
偉大な父の存在も折に触れて紹介されます。

いわゆる「二世ジョッキー」には2パターンいると感じていて
「父は父、僕は僕。比較しないでほしい」というタイプと
「子供の頃から父の姿を見て、カッコいいと思っていました」というタイプ。

武史騎手は後者のように感じられます。

というのも、2018年。
2年目を迎えたヤングジョッキーズシリーズ(YJS)ではその年からJRAジョッキーたちはYJS専用の勝負服をデザインし、着用することとなりました。

好きな色や所属厩舎のカラーを選ぶジョッキーが多い中
武史騎手は

「冠名ロジの色合いが好きで、自分でデザインしたんです」

と。

そう、「冠名ロジ」とは父・典弘騎手と日本ダービーを制覇したロジユニヴァースの勝負服でもあります。

 

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当時、一緒にYJSを戦ったジョッキーたちは
減量に苦しみ引退を決断した人、度重なるケガに悩まされている人、新記録を次々に打ち立てた人
―― 十人十色のその後を歩んでいます。

人懐っこい笑顔で父とゆかりのデザインの理由を話してくれた彼は
今度は自身がダービージョッキーを目指す立場へと登り詰めましたんですね。


三津谷隼人騎手

24歳になった頃、干支がようやくふた回りし
社会人になって数年の私は
自分のお金で欲しい物を少しずつ手に入れることができ
大人になる楽しさを味わっていました。

ちょうどその頃、
「まだ30歳までは時間があるし、若い今のうちにチャレンジしたい!」
と決意し
大好きな競馬に携われる仕事を目指して歩み始めました。

今月20日をもって騎手を引退する三津谷隼人騎手も現在24歳。

30~40代まで現役を続けるジョッキーが多く
アスリートの中でも寿命が長いといわれる中で
デビュー7年目での引退はあまりに早く感じます。

だからこそ、その決断の大きさがより伝わってくるようでもありました。

「ジョッキーになるのなら
どうやって馬が生まれて、どういう過程で競走馬になっていくかを
イチから見たいという思いで中学生の3年間、母の実家の北海道の生産牧場に行きました」

と、中学時代は毎朝牧場の手伝いをしてから登校する日々。

念願のジョッキーデビューを果たしたものの
6月にはゲート裏で落馬。
ヘルメットは変形していたそうで、肺気胸や骨折などでしばらく戦線から離れ
初勝利を挙げたのはデビューから半年が経った9月でした。

2019年からは障害にも挑戦をしはじめました。

障害レースに乗るにあたり、もちろん障害練習(調教)にも乗るわけで

「障害は自分でイチから馬を作るので
普段の調教から一つ一つのことをいつも以上に考えるようになりました。
改めて調教の大切さを感じますし、もっと馬に乗る考え方をしっかりしようと思いました」

と当時、生き生きと話していたことを思い出します。

 

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▲初めて障害試験を受けた相棒・ダンツカホウと三津谷隼人騎手

時に穏やかな口調で
時に「今週の騎乗馬、すごく楽しみなんですよ!」とウキウキと話す姿が印象的でした。

昨日、お手馬のマーニと挑んだ京都ハイジャンプは
現役ラスト騎乗で重賞初制覇を果たすという
あまりに感動的なシーンでした。

三津谷隼人騎手、現役生活お疲れ様でした。