北新地競馬交友録

おくりびと

テレビの海外紀行番組の先がけとなった『兼高かおる世界の旅』でご存知、兼高かおるさんが90歳での大往生。
米ケネディ大統領、英チャールズ皇太子、スペインの画家ダリ、スウェーデンのテニス選手ボルグ、アフガニスタンの遊牧民、アラブの王族まで。
まさに世界を股にかけた大活躍。
流暢な英語はもとより、番組のナレーションでの美しいニホリカ語がこれまた素晴らしかった。
小学生当時、番組を毎週食い入るように見ていた記憶がある。
なにせ近所に海外旅行に行った人などまずいなかった時代。
当たり前ではあるが、あんなにピカピカに輝いていた兼高かおるさんにも、やがて死が訪れるのかと思うと感慨深いものがある。

その死とシネマ『おくりびと』で、真正面から向きあったのが、もっくん事本木雅弘。
プロのチェロ奏者として東京の管弦楽団に職を得ていたもっくんだったが、ある日突然楽団が解散。
夢を諦め、妻の美香とともに田舎の山形県酒田市へ帰郷する。
そこで出会った仕事が『納棺師』
亡くなられた方を長い旅へ送り出す稼業だ。
家族や周囲の反対を他所に、徐々に『納棺師』に淫していくもっくん。
生きるとは何か、死とは何か、家族とは何かそんな事を深く考えさせられるシネマであった。

『おくりびと』は第81回アカデミー賞最優秀外国語映画賞に選ばれる。
日本映画が同賞に選ばれるのは、同賞が名誉賞扱いであった1955年に『宮本武蔵』が受賞して以来54年ぶりとなる快挙であった。

「この『日経新春杯』は難しい。なんせ1番人気が武幸のヒカルカザブエだってんだからビックリだ。未勝利から4連勝とは云え1600万を卒業したばかりの身、しかも屋根がまるで当てにならねえ武幸とはョ〜。してから2番人気が将雅のアドマイヤモナーク、ジツリキがあるのは認めるが8歳だぜ8歳!も〜完全にロートルだ。3番人気が園田では大将でも中央じゃ並の太のナムラマース、4番人気が右見るヨロシイ!左見るヨロシイ!脇見運転祐介のタガノエルシコ。せめて豊がヒカルカザブエに乗ってくれりゃ〜買えるのに、何をトチ狂ったか『オークス』で一度しか跨った事のねえマイネレーツェルトとは泣けてくる」

「先行出来るドリームフライトがおもしろいんじゃねえかって?お父さん馬鹿だな〜西田ってだれない?西田佐知子なら知ってるが西田雄一なんて見た事がねえョ。腐っても『日経新春杯』はGⅡだぜ。そったらジョッキー出るだけでブルッちまって平常心で乗れる訳がねえ。まあ俺ぁ病気だからサイコロ転がして馬連5頭ボックスで遊んでみるがよ〜。お父さん、どうせマニーがねえんだろ顔に書いてあらあね。悪ぃ事は云わねえからケンしなって、突っ込んだら死亡遊戯になるのがオチだアチョ〜。しかしなんなら!このメンツは!まともに買いようがねえじゃねえか。責任者出て来い!の人生幸郎師匠だっちゅ〜の」
長講釈はマスターの昔からの悪い癖である。

「スタートを切りました!」
「あ!なんだ〜!ヒカルカザブエとアドマイヤモナークが出遅れてやがる。なめてやがんな〜」
サイコロを転がすと云いながらも、1番人気と2番人気をしっかり入れているマスターが舌打ちする、梅田ウインズ午後4時前レースは波乱含みで始まった。
「直線に向いて逃げるティエムプリキュア一人旅!2番手とはまだ5馬身以上の差がある。叩いてドリームフライト!ホワイトピルグリムの2頭が2.3番手で前を追う!その後ダガノエルシコ!1番外からアドマイヤモナーク!ナムラマースも追い込んで来るが!逃げる!逃げるティエムプリキュア止まりません!2番手との差はみるみる詰まるが!ティエムプリキュア!ゴールイン!ティエムプリキュアまんまの逃げ切り勝ち!」

1着 ティエムプリキュア 荻野琢磨J
2着 ナムラマース 小牧太J
3着 ダガノエルシコ 藤岡佑介J
単勝3440円、3連単213570円。
単勝11番人気、軽量49キロの荻野琢磨Jが逃げ切って大万馬券に梅田ウインズはシンとして音なしの構えである。
「なぬ〜おぎトンだ〜。いくら雨が降って下が悪いと云っても6歳の牝馬にイチコロパンでオソボにされるたぁ〜どう云う事ない。ナムラマースとダガノエルシコの馬連ならあるっちゅ〜の。武幸はほんまもんのダメな奴だぜ。こんな馬場なのに途中で下げてどうするんない!来る訳なかろうもん。武豊がブービーで吉田豊が最下位だってョ。なんだ〜この冗談みてぇな競馬は。あ〜やだ、やだ。競馬がマジカル嫌になった」とボヤいても後の祭りなのである。

たった一度の旅立ちをもっくんが送り出してアカデミー賞をゲット、梅田ウインズでは新年早々、ティエムプリキュアがおくりびとならぬおくり馬となり、推定3千人は野辺送りの憂き目に遭った。
2009年、丁度10年前の事である。