テレビのモニターに映し出されていたのは、手にハンマーを持ち壁を破壊する市民の群れ。
1961年8月13日の着工から28年間、東西ベルリンを遮断して来た壁が崩された。
喜びに沸く市民の群れの中にいたのが、たまたまベルリンを訪れていたダライ・ラマ14世。
崩壊の現場に向かい、東ベルリンに足を踏み入れ、歴史的瞬間を写真におさめたのである。
ダライ•ラマ14世は、老婦人から渡された蝋燭に灯を灯し、人々と共に祈りを捧げた。
因みに、ノーベル平和賞受賞の1か月前のことだ。
そんな著名人だけでなく、ベルリンの名も無き市民達、リアルタイムでテレビから流れる映像を食い入るように見つめていた全世界の人々。
それら全てが歴史の目撃者だったのである。
「俺ぁ〜この『マイルチャンピオンシップ』、オグリは寒いんじゃねかと思ってんだ。なんせ、楽に勝てた休み明けの『オールカマー』はともかく、『毎日王冠』ではイナリワンとのハナ差の激戦。続く『天皇賞 秋』では、根っきり葉っきりで追ったが、スーパークリークを交わす事が出来なかった。秋、4戦目、さすがのオグリも疲れてんじゃねえかな〜。しかも相手はマイルの申し子バンブーメモリーで、屋根が天才豊ちゃんだろ。ホクトヘリオスはどうかって?お父さん!俺の予想紙見てみなョ。バンブーメモリーとオグリ以外は全部マジックで塗り潰してんだろが。善臣大先生だ〜?いらねえ!まるでいらねえ!地球100周しても克己と豊ちゃんの一騎打ちだ。バンブーメモリーの単勝が4倍付くならの手もあるが、枠の1ー3ならやっ他目ねえだろう。嫁さんを質に入れても全財産打ち込んじゃりない」珍しく京都競馬場に出張ったマスター。
聞かれてもいないのに長講釈は昔からの悪い癖である。
「第4コーナーから直線!外からバンブーメモリー!バンブーが抜けて来た!そして内からオグリ!内からオグリが伸びて来る!バンブー先頭だ!バンブー先頭だ!オグリは2番手!外からルイジアナピット!ホクトヘリオスが差を詰める!しかしバンブー!オグリ!この2頭だ!バンブーが逃げた!バンブーが逃げた!オグリ負けられない!内を掬う!内を掬う!内か外か!僅かに内か〜!負けられない南井克巳!譲れない武豊!この2頭の一騎打ちになりました!オグリかバンブーか!」
1着 オグリキャップ 南井克巳
2着 バンブーメモリー 武豊
3着 ホクトヘリオス 柴田善臣
単勝130円 複勝100.120.180円 枠連180円
オグリキャップは第3コーナーで5番手から馬群の外を通って前方への進出を試みたも進出のペースが遅く、さらに第4コーナーでは進路を確保できない状況に陥る。
早めの進出、前方でレースを進めていたバンブーメモリーとは「届くはずがない」と思わせる差がついた。
バット!直線で進路を確保してから猛烈な勢いで加速し、ほぼ同時にゴール。
写真判定の結果オグリキャップのハナ差での優勝となった。
まず、普通の馬ではあり得ない走りに、京都競馬場の場内騒然。
「お父さん、克己の野郎泣いてんじゃねえの?ありゃ〜完全に泣いてるな。うん、気持ちは判る。秋天で下手乗りして豊ちゃんにオソボにされてっからョ。しかもこのマイル、直線では絶望的な差を付けられて、こりゃ〜ダミだ!と思ったところから、オグリが信じられねえ鬼脚を繰り出して勝ったんだから、そりゃ〜泣けてくるわな。俺も競馬のせいで、天文学的マニーをドブに捨てる羽目になり、人生にっちもさっちもブルドッグで毎日泣いて暮らしてるが、こったらレースを見れるなら、案外捨てたもんじゃ〜ねえな競馬もョ〜」
「ごっついレース見せてもろた」と馬券愛好家のお父さん。
「おう!一生もんだぜ!このマイルはョ!」とマスター。
ベルリンの壁が崩れ去るのを見て歴史の目撃者となった全世界の人々。
京都競馬場で、オグリキャップの信じられない鬼脚の目撃者となった馬券愛好家達。
どちらも1989年の出来事である。