北新地競馬交友録

悲劇

最近でこそ、ワールドカップに出場するのは当たり前になっているが、初出場を目の前にしながら、まさかの事態が発生。
それが『ドーハの悲劇』である。
カタールのドーハで行われたサッカーのワールドカップ米国大会アジア地区最終予選で、本大会への初出場をかけてイラクとの最終戦に臨んだ日本代表チームが後半ロスタイムに失点。
その時点まで、日本代表はリーグ首位で最終戦を迎え、勝てば他チームの試合結果にかかわらず、翌年開催される本大会に出場できた。
後半45分を経過した時点で日本代表は2対1でリードしていたが、ニャンと!試合終了直前のロスタイムに同点となるゴールを決められ、得失点差で3位に転落し、本大会への出場権を逃す結果となったのである。

「俺ぁ〜頭に来てんだ!何で関西の最強馬ビワハヤヒデの屋根が関東者の岡部幸雄なんだョ。確かに滋彦は、『朝日3歳S』と『共同通信杯』でまさかの2着。乗り替わりは仕方ねえかもしんねえが、浜田のテキが武豊はどうですかと進言したのに、馬主が『まだ若くて頼りない』と一蹴。幸雄にペテンバッタで、『まずは一回乗ってその結果次第で』と値打ちこかれたってんだから酷え話しだぜ。でどうだい、『皐月賞』では蹴った豊のナリタタイシンに打ち抜かれての2着。『ダービー』では、ウイニングチケット政人のダービー制覇の執念にゴメンなさい。幸雄の野郎云うに事かいて、『パドックではウイニングが一番良く見えたし、直線ではよく差を詰めたけど、かわせるとは思えなかった』だとよ。お父さん!こったら発言許せるか?許せねえだろうが」

「三冠最後の『菊花賞』だけは、何が何でも取らねばなるまい。今日の『神戸新聞杯』なんてぇのは、軽い肩慣らし、いや脚慣らしでしかねえョ。ここで芋引くようなら阪神競馬場の前で、幸雄降板の署名運動、はたまた馬主に直訴して下ろしてもらう。もっともこの面子なら、克己のネーハイシーザー、豊のツジユートピアンがそこそこ人気するだろうが、結果論ばっかで下手っぴの幸雄でも鼻唄混じりで勝てる。幸い給料が出たばっかでチィとは懐に余裕があるからよ〜。単勝が150円付くなら喜んで〜の頑固炉端だ。俺ぁ〜、漢度胸の1発勝負で一ズク張り付ける。お父さん!千円握りしめて震えてる場合じゃねえぞ」
聞かれてもいないのに長講釈は、マスターの昔からの悪い癖である。

「第4コーナーを回って直線!阪神競馬場は大歓声!ネーハイシーザーの外にビワハヤヒデが馬体を併せにいく!ビワハヤヒデ余裕なのか!もう一度内からネーハイシーザーが伸びる!」
「幸雄!馬鹿野郎!何やってんだ」とマスターが怒声を張り上げる。
「ネーハイシーザーが脚を伸ばす!ネーハイシーザーが脚を伸ばす!この2頭のマッチレース!ビワハヤヒデ交わしたか!ビワハヤヒデ交わした!交わした!ビワハヤヒデ先頭に立った!ゴールまであと100!岡部の左鞭が1発!差が1馬身と開いた!ビワハヤヒデ菊に向かって前進!ビワハヤヒデ快勝」
ビワハヤヒデの単勝が160円付いた。

「相変わらず情けねえ競馬するぜ幸雄はョ〜。この相手に鞭なんて使うか?豊なら絶対使わねえョ。しかし何だなお父さん、競馬もこんなレースばっかだったら、家どころかジェット機でも買えるのによ〜。160円か上等じゃねえの。付きすぎだっちゅ〜の」と踏ん反り返る梅田ウインズ午後4時前。
競馬だってたまには信じる者は救われると云う事かも知れない。

『ドーハの悲劇』は、サッカーの日本代表が、ゲームメイクの発想がなかったばっかりに起こった事。
『ビワハヤヒデの悲劇』は、何が何でも勝つと云う信念を持った屋根に出会えず、当然3冠を取れる器だったのに、最後の一冠『菊花賞』に賭けるしかなかった事。
どちらも悲劇なのではあるが………。

1993年、遠い昔の話しである。