「将来の夢はなんですか?」
「アイドルになる事です!」
ニャンとも馬鹿げた話しである。
お面のいい子なら万に一つの可能性はあるだろうが、2、3発ビンタを喰らって、トドメで蹴りを入れられたような子まで真面目な顔をして云うのだから恐れ入谷の鬼子母神だ。
ひと昔前なら「味噌汁で顔洗って出直して来い」だし、「そんな夢みたいな事は考えないで地道にやりなさい」と諭すべき親が、「応援してるよ!」なんだから世も末である。
そんな馬鹿が溢れ返っている昨今はさて置き、昔は本物のアイドルがいた。
年配の方なら全員ご存知『キャンディーズ』
その人気絶頂のキャンディーズが、日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで………。
ランちゃん「私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります」、ミキちゃん「ごめんなさい」、スーちゃん「許してください」とファンに対して謝罪。
「私たち、今度の9月で解散します」と突然の解散宣言だ。
そのときランちゃんが泣きながら発言した「普通の女の子に戻ります!」は、忘れる事の出来ない心の叫びであった。
1977年の事である。
「『京都記念』はトウショウボーイがいねえんだから、テンポイントの独断場だぜ。エリモジョージ?あったら気性の悪ぃ馬なんざ〜来る訳なかんべ。目先の目標は『春天』ここは7分の出来でもおいでおいでの大楽勝さ〜ね」
競馬を始めてまだ1年ちょいの癖に、講釈を垂れる若かりし頃のマスター。
応援しているのは、モチのロンでテンポイントであった。
デビュー以来5連勝で臨んだ皐月賞は、新星トウショウボーイに敗れて2着。
日本ダービーは着外。
菊花賞も伏兵グリーングラスに足元をすくわれて、またもや2着で結局、クラシックは無冠に終わった。
その年の有馬記念も、勝ったのはトウショウボーイで、テンポイントは2着。
『悲運の貴公子』テンポイントを応援しないで、どの馬を応援するんだ。
そんな心持ちだったのはマスターだけじゃなく、関西競馬ファンの総意であった。
明けて1977年の2月。
憎っくきトウショウボーイをやっつける為にも、ここで負ける訳には行かないし、負ける訳がないと信じて淀の競馬場には多くのファンが詰めかけた。
ガラガラの昨今からは想像も出来ないだろうが、まさに押すな押すなの大盛況。
「4コーナーを回って直線!はやくもテンポイント先頭!テンポイントが先頭!お聞きくださいこの大歓声!外からホシバージ!さあテンポイント!今日は内に行った!ホシバージも食い下がる!テンポイント先頭!身体半分開いている!テンポイント先頭でゴールイン!2着はホシバージ!テンポイント!天皇賞へ王手!」
その後予定通り『天皇賞春』を制して、トウショウボーイとの決戦に挑んだ『宝塚記念』ではまたもや2着に敗れるが、その年の暮れラストチャンス、陣営が悲壮な決意で臨んだ『有馬記念』で、壮絶な一騎打ちの末にトウショウボーイを下して優勝。
関西競馬ファンが感涙にむせぶ事となる。
キャンディーズがマイクを置くと決めた年に、アイドルホースの道をひた走ったテンポイント。
そのスタートが『京都記念』
オーロラビジョンなんてもちろんなかった!極寒の中でピョンピョン飛び跳ねていたのも懐かしいなるなりである(╹◡╹)