『私たちの望むものは』by信康岡林
私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの望むものは 生きる喜びなのだ
私たちの望むものは 社会のための 私ではなく
私たちの望むものは 私たちのための 社会なのだ
私たちの望むものは 与えられることではなく
私たちの望むものは 奪いとることなのだ
私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは あなたと生きることなのだ
今ある不幸に とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
私たちの望むものは くりかえすことではなく私たちの望むものは たえず変わってゆく ことなのだ
私たちの望むものは 決して私たちではなく
私たちの望むものは 私でありつづける ことなのだ
今ある不幸に とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
私たちの望むものは 生きる喜びではなく
私たちの望むものは 生きる苦しみなのだ
私たちの望むものは あなたと 生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ
今ある不幸に とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
私たちの望むものは
私たちの望むものは…
牧師の息子として生まれ、京都で行われたフォークキャンプに参加。
山谷に住む日雇い労働者を題材とした『山谷ブルース』でレコードデビューし、『友よ』『手紙』『チューリップのアップリケ』『くそくらえ節』『がいこつの歌』などを発表。
当時、高石友也、高田渡、加川良、五つの赤い風船などと共にプロテスト・フォーク、反戦フォーク歌手となった岡林信康。
通り名が『フォークの神様』である。
今、改めて『私たちの望むものは』を聞いてみたが、単調を通りこして、まるで呪文かお経のようなメロディーラインと、声に出すと恥ずかしくなるようなストレートな歌詞。
この歌をニコニコマークのTシャツを来て怒鳴るように歌っていた自分を思い出すと、いささかどころか、穴があったら逃げ込みたい気分である。
世の中の理不尽な事や納得行かない事に対して、抗議する姿勢は決して悪い事ではないが、あまりにも幼稚で稚拙だったあの頃。
恥ずかしさが大部分だが、ある種の懐かしさも禁じ得ないのである。
「マスターさん!どうしてたんですか?朝から何度も連絡しているのに梨の礫で。年末が越せないので夜逃げしたのかと思いましたよ」と土曜日の夕刻、熊本天草出身の◯原さん。
「あ、悪ぃ、悪ぃ。今、奄美大島なんだ。7月に予定していた初奄美。顔面麻痺発病でキャンセルをせざるを得ない事態になっちまっただろ。快気祝いだと、関東や名古屋のダイビング仲間が誘ってくれてよ〜。しかし助かったぜ。今日の『阪神カップ』イスラボニータ、サングレイザー、モズアスコット、レーヌミノル4頭立てのレース。馬券をどう買うかだけが問題だと思っていたら、7番人気の人気薄、豊のダンスディレクターが2着に突っ込んでんじゃんか。本命党は全員お釈迦になっちまったはずだ。豊もこの年の瀬に純情な馬券愛好家を虐めちゃ〜いかんぜよ」
「奄美大島!それならそれと云ってください。心配したんですから。明日の『有馬記念』は当然買うんでしょ」
「あたしまえだがに。その為にタネ銭をK君に預けてんだから。俺ぁ公開抽選会で、豊が1枠2番を引いた時に思ったね。こりゃ〜間違いなく馬券になると。小回りの中山、2500はコースを6回も回るんだから内枠の先行馬が有利なのは、芦◯崇信幼稚園ひまわり組の真司君でも知ってらあね。これまで枠順に関しては、根拠も証拠もねえのに主催者の忖度が取り沙汰されて来たが、どんなもんだい!てなところだろう。しかも絡んで来られたら難儀な外人部隊が中団から後方にかけてレースを進めるとなりゃ〜豊にしたら願ってもない枠を引いた訳だ」
「マスターさん、お説ごもっともですが、そんな遠方だと通話料も馬鹿になりませんから結論をお願いします」
「うむ。枠連で行こうと思う」
「え!また枠ですか?」
「◯原さんなんか云ったか?」
「いえ、いえ、気のせいじゃないですか」「だろうな。この俺に意見しようなんて命知らずはいねえもんな。豊のキタサンブラックと1枠1番を引いて雄叫びを上げたと噂の謙一ヤマカツエースの1枠から、JCの夢再びボウマンのシュバルグランの5枠に8万。7枠が厄だがそれを何とかするのが今のデムーロ。スワーヴリチャードとひょっとしたらのスグルちゃんミッキークィーンが同居した7枠に8万。まさか、まさかの1ー1に1万。何が起こるか判らないのが競馬。タテ目の5ー7を3万押さえようか。しめて20万で勝負をかける」と結論付けた。
人気投票断トツ1位、単勝オッズが1.8。
全国3千万競馬ファンが望むものは、暮れの中山を先頭で駆け抜けるキタサンブラックだろうが2着でもオッケー!とマスター。
日曜日の乗鞍をこの『有馬記念』一鞍に絞った武豊Jの心意気やよし!
痺れるような走りを期待する(╹◡╹)