大晦日の晩、札幌のおそば屋さん『北海亭』に二人の子供を連れた女性が現れる。申し訳なさそうに「あの・・かけそば・・一人前なのですが・・よろしいでしょうか?」それを見て、こっそり1.5人前のそばをゆでる主人。親子は3人で出された一杯のかけそばを分け合って食べたのだ。交通事故で父親を亡くし、年に一回だけ大晦日に父親の好きだった『北海亭』のかけそばを食べに来ることだけが贅沢だったのである。
そして、次の年の大晦日も・・・その次の年も。かけそば一人前を頼む親子。
いつしか『北海亭』の夫婦は、大晦日にかけそばを注文する親子の来店を楽しみにするようになり、毎年大晦日は親子の座る2番テーブルを予約席にするようになった。
しかしある年からパタッと来なくなったかけそば親子。それでも予約席をとって待ち続けた『北海亭』の夫婦。そして十数年後のある日、すっかり大きくなった親子三人が再び『北海亭』に現れる。子供達は就職して立派な大人となり親子三人で「かけそば」を三丁頼むのである。主人は涙で頬を濡らしながら「あいよっ!かけ三丁!」。
1989年、一大ブームを起こした『一杯のかけそば』
時はバブルのど真ん中、今のような一部の人間だけが儲けているのではなく、それこそ世の中全体が浮かれ切っていた。
北新地でもタクシーに乗るのに、一万札を高々と掲げなければ止まってくれないと云う冗談みたいな事が、普通に繰り広げられていた。
なじょして、そんな時代に『一杯のかけそば』なのか?
今から考えると、日々お金に振り回されている罪悪感もあったとは思うが、やはり日本人は人情とか、苦労していても折れずに頑張る話しが好きなんだな〜と思うのである。
その1989年夏。
体重管理の失敗とその以前に起こした交通事故で厩舎サイドはおろか、競馬サークル全体の信用を落としてしまって、騎乗する馬がほとんどいない騎手がいた。
夏競馬の最中で人も馬も閑散としている美浦トレーニングセンターで、その騎手に声を掛けた1人の調教師。
「おまえダービー取ってみたいだろ。ウチのに乗ってみないか?」
その調教師の名は加藤修甫、騎手の名は中野栄治だ。
そしてこの2人を漢にする馬の名前は、少し古い競馬ファンならご存知アイネスフウジンである。
「第4コーナーから直線!サクラサエズリが先頭!2番手はアイネスフウジン!200を切った!アイネスフウジンが交わした!交わした!アイネスフウジン先頭!アイネスフウジン先頭!サクラサエズリ2番手!懸命に粘る!アイネスフウジン!ゴールイン」
『第41回 朝日杯3歳ステークス』
1着 アイネスフウジン 中野栄治
2着 サクラサエズリ 木藤隆行
3着 マイネルハイル 横山典弘
直線はアイネスフウジンとサクラサエズリとの一騎打ちで、見事な勝利を収めた中野栄治も立派だが、騎乗させた調教師も、それを快諾した馬主も偉い。
『ダービー』で伝説の中野コールが起こる5ヶ月前の話しである。
「考えるから当たらないんじゃない?カタカナのジョッキー買ってりゃ自動的に当たるんだから」ごもっともである。
素人が当たって、なまじ競馬に詳しいとハズレるのが近年の競馬。
騎手も、乗り替わりなんぞは当たり前で、「文句あるなら好きにせい!今後うちの馬には一切乗せん」でグゥの根も出ない。
勝負事は勝ってナンボなのは承知の助だが、情がある馬主さんや、調教師さんが苦労をする時代だ。
たまには、心が揺さぶれるような、漢気溢れる競馬を見てみたいなるなりである。
さ〜!『朝日杯フューチュリティS』がやって来る!