「ジュリアナス〜トキオ〜!」
ワンレン・ボディコン・イケイケ・お立ち台、『ジュリアナ東京』の映像が最近よく流れている。
連日の株高で大騒ぎの我がJAPAN。
果たしてバブルか否か、そんな番組の中で、1986年から1991年までのバブルの象徴として、1991年にオープンし一大ムーブメントを起こした『ジュリアナ東京』の映像が使われているのだ。
1991年、熟れきった狂乱状態の年の瀬に、天才少女に跨って阪神競馬場のタープを駆け抜けた、まるで時代とそぐわない地味な騎手がいた。
「直線コースに向いた!ユートジェーンが先頭!ニシノフラワー!ニシノフラワーが迫る!外からディスコホール!更に外からシンコウラヴリーも突っ込んで来る!さあ!ニシノフラワー先頭か!シンコウラヴリーか!内から!内からサンエイサンキューも伸びて来た!先頭ニシノフラワーだ!ニシノフラワー!ゴールイン」
1949年に、関西所属の3歳(現2歳)馬チャンピオン決定戦として創設された『阪神3歳ステークス』が、1991年より牡馬・牝馬のチャンピオン決定戦を明確にすることを目的として牝馬限定戦に変更。
あわせて競走名も『阪神3歳牝馬ステークス』に変更され、3歳(現2歳)牝馬チャンピオン決定戦として位置づけられた。
そして2001年より馬齢表記が国際基準に改められたのに伴い、現名称の『阪神ジュビナイルフィリーズ』となる。
牝馬限定となった1991年に戴冠したのは、天才娘ニシノフラワー。
札幌開催の新馬戦でデビュー、単勝4番人気であったが、2着に4馬身差を付けて初戦勝利。
次走はG3競走の『札幌3歳ステークス』
道中2番手から直線で後続を突き放す余裕のレースで、ディスコホールに3馬身半の差を付けて優勝し重賞初勝利を収めた。
更に休養を挟んで、『デイリー杯3歳ステークス』を3馬身半差で圧勝。
そして、『阪神3歳牝馬ステークス』では1番人気に支持され道中5-6番手から直線で抜け出し、ゴール前で追い込んだサンエイサンキュー、シンコウラブリイを退けて優勝する事となる。
鞍上は苦労人佐藤正雄、ニャンと!騎手人生22年目にしてG3『札幌3歳ステークス』で初の重賞をゲットし返す刀でのG1ゲット。
「佐藤!ええぞ〜」阪神競馬場のウィナーズサークルに声援が飛んだ年の瀬。
24年間で積み重ねた勝ち星が僅か208勝しかない佐藤Jの、一世一代の晴れ姿なのであった(╹◡╹)
『ユニクロ』を運営するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は「株価が上がってバブルなだけ。海外市場を相手にしたところばかりよく、日本の景気自体はよくなっていない」と指摘するが、なるようにしかなるまい。
そんな難しい事は天井裏にでも置いといて、競馬だ!競馬。
さ〜!『阪神ジュビナイルフィリーズ』がやって来る!