北新地競馬交友録

オグリの『マイルCS』

昭和天皇のご崩御で幕を開けた1989年。
日本はバブルのど真ん中で、世の中にはお金が溢れていた。
「主任さん!確認お願いしま〜す」
梅田のウインズで、作業着のポケットからむんずと札束を掴み出した若い兄ちゃんが、窓口にドカンと突っ込む光景もそんなに珍しい事ではなかった時代。
Chinaでは『天安門事件』が起こり、Berlinでは東西を隔てていた壁が崩れさったが、そんな事は遠い国の話し。
競馬ファンの興味は一にオグリ、二にオグリ、三、四がなくて五にオグリ。

1.9倍の圧倒的人気ながら秋の『天皇賞』で、武豊Jのスーパークリークに膝を屈したオグリキャップは『マイルCS』を次のレースに選択。
この時点でその次の週の『ジャパンカップ』への連闘が発表されていたのだから、今ならあり得ないローテーションである。
『マイルCS』の強敵はこれまた若き天才武豊Jが騎乗するバンブーメモリー。
直線半ばで勝負有り!またも武豊Jにやられて2着かと全国のオグリファンが頭を抱えたのだが……..。

「直線コースに向いた!先頭はホリノライデン!外からバンブーメモリー!オグリは内に突っ込む!先頭はバンブー!抜けた!バンブー抜けた!オグリの伸び脚はどうか!まだ2番手!まだ2番手!先頭バンブー!ホクトヘリオスがお〜外から突っ込んで来る!さ〜先頭はバンブー!オグリも内から伸びる!前二頭が並んだところでゴールイン」

スタートでやや安目を売ったオグリキャップ。
巻き返して5.6番手を追走するも、どうにも手応えが良くない。
第3コーナーで馬群の外から前方への進出を試みるも進出のペースが遅く、第4コーナーでは進路の確保に手間取り、バンブーメモリーに先に直線進出を許し勝負あったかと思われた。
バット!ゴール手前100mの地点から内を突いて、ゴール直前でわずかにバンブーメモリーを交わして優勝したのである。

そのレースを梅田ウインズで見ていたまだ若かりし頃マスター。
ラスト100m静まり返っていたフロアーが、勝利の瞬間に大爆発!
「やっぱりオグリはちゃいまっせ!」
「痺れまんな〜」
「南井もやるときゃやりよる!」
「なにが武豊じゃ、あんな若造に負けてたまるかいな」
今でこそ、お上品になったが当時のウインズときたら………。
満員電車状態のフロアーにいる面々は、一癖も二癖もあるような輩がモリモリ森昌子で、まさに鉄火場であった。

やがてバブルが吹き飛んで、札束が飛び交っていたウインズも、随分と大人しくなった。
あの頃ブイブイいわしていた馬券愛好家達はまだ馬券を買っているのだろうか?
オグリキャップは歴史に名を残したが、歴史の片隅にすら残らない人々の想いが床に降り積もり、静かに厚みを増し続けている梅田ウインズ。
「おもろうて やがて哀しき 競馬かな」
それでも死ぬまでやめないんだろうな〜。

今年も『マイルCS』がやって来る(╹◡╹)