北新地競馬交友録

自己投影から羨望へ

マスターが競馬と云うものを初めて知ったのは、中学生になった頃である。
国民的ヒーロー『ハイセイコー』が、地方競馬からJRAに殴り込みをかけて、一大ムーブメントを起こした。
時は1973年、社会は今ほど成熟してはいなかったし、もっといい暮らしをと、大衆の大部分が足掻いていた時代だ。
ハイセイコーが競馬ファンだけでなく、国民にとってどんな存在だったかを表す詩がある。

『さらばハイセイコー』 寺山修司

ふりむくと
一人の少年が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた

ふりむくと
一人の失業者が立っている
彼はハイセイコーの馬券の配当で
病気の妻に
手鏡を買ってやった

ふりむくと
一人の足の悪い車椅子の少女がいる
彼女はテレビのハイセイコーを見て
走ることの美しさを知った

ふりむくと
一人の酒場の女が立っている
彼女は五月二十七日のダービーの夜に
男に捨てられた

ふりむくと
一人の親不幸な運転手が立っている
彼はハイセイコーの配当で
おふくろをハワイへ
連れていってやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった

ふりむくと
一人の人妻が立っている
彼女は夫にかくれて
ハイセイコーの馬券を買ったことが
たった一度の不貞なのだ

ふりむくと
一人のピアニストが立っている
彼はハイセイコーの生まれた三月六日に
交通事故にあって
目が見えなくなった

ふりむくと
一人の出前持ちが立っている
彼は生まれて初めてもらった月給で
ハイセイコーの写真を撮るために
カメラを買った

ふりむくと
大都会の師走の風の中に
まだ一度も新聞に名前の出たことのない
百万人のファンが立っている
人生の大レースに
自分の出番を待っている彼等の
一番うしろから
せめて手を振って
別れのあいさつを送ってやろう
ハイセイコーよ
お前のいなくなった広い師走の競馬場に
希望だけが取り残されて
風に吹かれているのだ

ふりむくと
一人の馬手が立っている
彼は馬小屋のワラを片付けながら
昔 世話をしたハイセイコーのことを
思い出している

ふりむくと
一人の非行少年が立っている
彼は少年院のオリの中で
ハイセイコーの強かった日のことを
みなに話してやっている

ふりむくと
一人の四回戦ボーイが立っている
彼は一番強い馬は
ハイセイコーだと信じ
サンドバックにその写真を貼って
たたきつづけた

ふりむくと
一人のミス・◯◯◯が立っている
彼女はハイセイコーの馬券の配当金で
新しいハンドバックを買って
ハイセイコーとネームを入れた

ふりむくと
一人の老人が立っている
彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ
やけ酒を飲んで
終電車の中で眠ってしまった。

ふりむくと
一人の受験生が立っている
彼はハイセイコーから
挫折のない人生はないと
教えられた

ふりむくと
一人の騎手が立っている
かつてハイセイコーとともにレースに出走し
敗れて暗い日曜の夜を
家族と口をきかずに過ごした

ふりむくと
一人の新聞売り子が立っている
彼の机の引き出しには
ハイセイコーのはずれ馬券が
今も入っている

もう誰も振り向く者はないだろう
うしろには暗い馬小屋があるだけで
そこにはハイセイコーは
もういないのだから

ふりむくな

ふりむくな
うしろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
すべてのレースは終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる

思いきることにしよう
ハイセイコーは
ただの数枚の馬券にすぎなかった
ハイセイコーは
ただひとレースの思い出にすぎなかった
ハイセイコーは
ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった
ハイセイコーはむなしかったある日々の
代償にすぎなかったと

だが忘れようとしても
眼を閉じると
あのレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ

※角川文庫『競馬への望郷』より

天才詩人、言葉の魔術師、故寺山修司のこの『さらばハイセイコー』は、何故あれほどハイセイコーが愛されたかを、時代の空気を纏いながら見事に表現している。
ハイセイコーに自分を重ねる。
所謂、自己投影の存在であった。

最近のスーパーホースと云えば、ディープインパクト。
あの馬に自分を重ねる人は、ほとんどいないであろう。
強い者への羨望であり、賞賛であり、勝利の時の共有である。

へそ曲がりのマスターは、「あんな馬の何処がいいんだか?意味不明よ!」と云い続けた。
とっくに自己投影の時代から羨望の時代へ変わっているのに、必死の抵抗だ。
相変わらず思い入れ馬券が大好き。
昭和の男は頑固だね。

マスター!そんな事だから馬券が当たんないんだよ!(笑)