『夏のクラクション』by じゅんいち いながき
海沿いのカーブを君の白いクーペ
曲がれば夏も終わる
悪いのは僕だよ優しすぎる女に
甘えていたのさ
傷口に注ぐ GIN のようだね
胸がいたい 胸がいたい
夏のクラクション
Baby もう一度 鳴らしてくれ In My Heart
夏のクラクション
あの日のように きかせてくれ
跡切れた夢を 揺り起すように
海沿いのカーブを二つの夏過ぎて
今年もひとりきりさ
「夢をつかまえて」と泣いたままの君が
波間で手を振る
傷跡に触れたまるで KNIFEさ
瞳閉じる 瞳閉じる
夏のクラクション
Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart
夏のクラクション
風に消されて もう聴こえない
Leave Me Alone
夏のクラクション
Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart
夏のクラクション
あの日のように きかせてくれ
つまづきそうな 僕を振り返り
「最多〜最多〜、コロナの患者が〜、並んだ〜並んだ〜エクモの機械。」と、チューリップの歌の替え歌を聞いている内に、もう夏が終わってしまう。
それにしても今年は新型コロナ禍だけでなく、お天気もそっぽを向いた。
雨に降り込められ、開放的な季節のはずが、家の中で膝っ小僧を抱え畳の目を数える日々を送る事を余儀なくされたのだ。
少しばかり年季の入った人生の中でも、最悪の夏だったのは間違いない。
バブル景気で世の中が浮かれまくる3年前の1983年。
稲垣潤一が、『ドラマティック・レイン』『エスケイプ』に続いてリリースし、大ヒットになったのが、『夏のクラクション』だ。
今、改めて歌詞を見ると、当時流行ったシティポップスである事をさっぴいても、ニャンと云う軟弱さ。
おなごの事ばっか考えてると事故るぞ!と背中の一つもどやしつけられそうだが、当時の自分の生活や心のありように、恥ずかしながらウルトラマッチしていた。
乗っていたのはスバルのインプレッサだったような気がする。
プープープー。
いい夏だったな〜。
「マスター、おはようございます。『関屋記念』は痛恨でしたね。馬連じゃなくてソングラインの一頭軸3連複15点張りだと大当たりでした。一目3千円は買えたでしょうから14万円弱はゲット出来てました。」は、競馬友達のK君。
「くぬ野郎、朝から人の傷口に塩を塗るような事を云いやがって。『明良!遠慮せい!』とテレビに向かって叫んだが後の祭りだ。3着でいいんだ。3着で。裕信と謙一の馬連で9.5倍あったちゅうの。道中も謙一のソングラインに外からびっちり明良のカラテが圧掛けやがって。とんでもねえ野郎だぜ。大体が……….。」
朝からお家芸、伝統芸能とも揶揄される尽きる事のない愚痴が、鬱陶しい天気と相まって纏わりつく神戸市東灘区午前7時半。
いつまで続く泥濘ぞである。
「気を取り直して行きましょう。本日は小倉の『北九州記念』はたまた、ソダシの出る『札幌記念』どちらで?」
「うむ、『北九州記念』は馬主さんとご縁のある、ヨカヨカとノーワンをエアーで応援しよう。昨日の夜2時間考えたが馬券は難し過ぎる、無くなっても泣かないマニーが10万でもありゃ〜買えるが、無職みてぇなこの危急存亡の夏。とてもじゃねえがそんな道楽は出来まいて。」
「でしたら『札幌記念』ですね。」
「ああ、ソダシなんてチイとも強くねえだろう。3歳牝馬同士なら兎も角、歴戦の古馬を相手に引いた枠が大外。いくら52キロだって2番人気は売れすぎだっちゅ〜の。鴨も鴨も、ネギとハクサイまで背負ってお出ましだ。押さえで上等さあね。」とひとくさり。
「川田Jのラヴズオンリーユーですね。」
「当然だ!世界を股にかける女傑。しかも得意の2000m。ここで芋を引く訳がなかろうもん。直線の短い札幌だが、楽にそこそこの位置に付けれるから何の問題もねえ。ラヴズオンリーユーが連を外すような事がありゃ〜札幌競馬場に雹が降らあね。発表!悪党ペアは無視出来ねえから、馬連4ー13を元返しで1万。前々で運べる和生のトーラスジェミニと、祐次のウインキートスを平に1万。残り内から1.2.7.8.12にこれまた平に4千でいてこます。」と、結論付けた。
プープープー!夏のクラクションでラヴズオンリーユー様がお通りだ。
道を開けい!
でお帳面がマスターの見立てだが………さて。