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本会のあゆみは、昭和21年(1946)10月16日社団法人関西競馬振興会の設立に始まります。終戦後まもなく、競馬関係者の間で一日も早く競馬を再開したいという機運の高まりの中、馬主の団体として認可されたもので、戦後初の競馬は翌日の17日から京都と東京で再開されました。その後、関西以西九州までの馬主が所属していた本会は、西日本競馬振興会、西日本馬主協会と名称を変更しました。
昭和29年日本中央競馬会が発足。39年には戦後初の三冠馬シンザンが登場するなど、競馬は順調に発展していきます。競馬ブームに伴う馬主の急増などもあり、阪神競馬場を拠点とする本会関係者が中心となり阪神馬主協会として本会から分離独立。本会は昭和43年7月6日に「社団法人京都馬主協会」として新発足します。
さらに本会は阪神・中京・九州各馬主協会と協力して、西日本馬主協会連絡協議会(のち平成元年から西日本馬主協議会)を創設し、年々複雑・多様化する馬主をめぐる諸課題解決にあたりました。
昭和57年には、国際化や地方交流など競馬を取り巻く変化に対応すべく、本会からも「競馬番組に関する懇談会」に参加し、重賞競走の距離体系・格付けなどについて議論しました。これらの活動は59年中央競馬の競走体系の大幅刷新、グレード制の採用へと結実し、中央競馬一層の発展の一助となりました。
平成になってからは4年、馬主が賞金の一部を拠出し、民間福祉事業を支援する福祉施設助成目録贈呈式を初めてファンの前で行いました。7年の阪神・淡路大震災の際には日本赤十字社京都府本部を通じて被災地に義捐金を送りました。創立50周年を迎えた8年には社会福祉法人施設を京都競馬場に招待しました。
平成11年には本会のロゴマークを制定。16年には会員物故者追悼法要を実施。本会は社団法人としての体裁を次第に確かなものにしていきます。21年には非営利法人制度に関する法律に対応するため、公益法人改革特別委員会を立ち上げ、25年1月4日に一般社団法人へ移行しました。